本に反論します


行動経済学っぽいジャンルの本を読んでいたら、こんな記載がありました。



日常の疑問を経済学で考える
日常の疑問を経済学で考えるRobert H. Frank 月沢 李歌子

日本経済新聞出版社 2008-02
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「Q.収入が同じでも、弁護士のほうが大学教授よりも、服や車にかけるのはなぜ?」



「収入が多い人は支出も多くなる。そして、競争がある労働市場では、能力が高い人ほど収入が多くなる。よって、能力が高い人ほど支出が多いことになる。乗っている車や服を見れば、その人が能力のある人かどうか、ある程度の推測ができる。」

「有能な弁護士ほど引っ張りだこで、弁護料が高くなる。しかし大学教授は、いくら有能でも他の教授と収入の上で差がつくことはあまりない。だから、大学教授よりも弁護士のほうが車や衣服から能力を判断しやすくなるのだ。」

「有能な弁護士を探している人は、10年以上前の錆ついた大衆小型車に乗っている弁護士に弁護を依頼したいとは思わないだろう」





いやー、思いっきり中古の軽自動車に乗っている私としては、厳しい指摘です。



自己弁護のため、反論してみましょう。

そもそも、前提の論理が正しいのでしょうか。

支出が多い→車や衣服の支出が多いという前提があやしいです。

人が何にお金を使うかは、何に価値を置くかによって決まるのではないでしょうか。

私は、今の所、車とか衣服に価値を置いていないので、単なる移動・運搬手段の車は、経済的合理性だけで決めています。

その代わり、情報系、時間系には相当支出しています。



前提が正しいとしても、次に、弁護士を探す人が、弁護士の車や衣服で決めるのかという問題。

かつて、お客さんは弁護士の家を探して、大きい家に住んでいたら、安心して依頼したという話を聞いたことがあります。

これに近い論理でしょうか。

実は、これに近い理屈で、お客さんが依頼してくるということもある、と実感しています。

事務所の○○とか。



今も、こういう理屈で弁護士を探す人がいるのかもしれませんね。

世間の見方がそうだとすると、車や服が重要という論理も一理あるのかもしれません。



しかし、これからの情報時代、きっと事情は変わってくるでしょう。



私が車に目覚めるのが先か、時代が変わるのが先か。





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2009/03/14(Sat) | 雑談 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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